2009年06月18日
♪:同居記録:243
☆:2009.6.17。
☆:食べるという行為はとても大切。・・介護食の研究
BS放送だったかな?、今朝のTV番組で介護食の話題がありました。魚も野菜も混ぜ合わせたスープ状のトロトロ食ではなく、食材の姿形を残していて柔らかく食べられる調理方法の事でした。
一つの試みは酵素に漬け込んだ食材を特殊なケース入れ、減圧する事で食材中の空気を抜き、食物中の繊維をズタズタにする事で、「見た目は硬そうな竹の子やレンコンでも箸で切れる程に柔らかくなる」、というもの。
もう一つの試みは、何とか粉砕法という奴で、医療分野で応用されているものでした。胆石などがある患者をプールに入れて特定の音波を外から発射して患者の体内の石だけを粉砕するというものです。この方法も硬い野菜を特殊ケースに入れておき、パコーンと音波を発射して柔らかくするというものです。素材の外観は変化せずに中の繊維だけが柔らかくなるのです。
見事にお皿に盛られた竹の子やレンコンの煮付け。それにタクアンなどを100歳、96歳のお年寄りが自分で箸と皿を持ち、立派に食べているではありませんか。特に、96歳のお婆ちゃんなどは昨年までは完全な寝たきり状態だったとか・・。それがこうした調理方法の食事に切り替えた現在、自分で箸やスプーンを持って介助なしでベッドに腰掛けて食べられるようにまでになっている様子が画面に映っていました。
「美味しいですか?」、という取材者の質問に、「美味しい」、と答えるシーンでした。見ていて胸が熱くなりましたね。
☆:母の場合、食事への関心が強い分だけ健康なんだと思う。
食が命を与え、その食が病を作るものでもありますが、老いてからは、「食べなきゃいかん」、という思いを持てる者と、「もう、何を食べても・・」、と思う者との差ははっきりと出るような気がします。
私の母の場合、認知が吐かせる言葉、認知がさせる行為であったとしても、「食事を作る時間だ」、「食事作りは私の仕事だ」、と思う事で命を持続できている気がしています。
母の育った過去を振り返れば、母が11歳当時、僅か48歳でこの世を去った母親の代わりに母とは7歳違いの長女のフサ姉さんが、フサさんが嫁いだ後は4歳違いのミツ姉さんが家族の食事を作ったのです。そして、今度は末娘だった私の母は博多に嫁いでいたフサ姉さんの元でその家族の食事作りから子育てまでを一手に引き受けた時期があったのです。
多分、母の育った環境が現在の母の意識の中にあって、母が食への拘りを持つことができている気がするのです。
☆:オムスビに感動する私
実は、私はオムスビが大の好物なんです。あの米粒がびっしりと詰まって、その周囲を海苔で巻いて・・。さてさて、今日のオムスビの中には何が入っているのかな、と・・。
高菜の油炒めかしら、醤油をまぶした鰹節、明太子かしら・・、それとも、昆布の佃煮かも・と。ホホ、ホホ。あのオムスビを手にした瞬間に感じる日本人としての文化への誇り。それに日本人としての幸せを強く感じます。
☆:ラスクの事。「これはネ、こうやって食べるのさ」、と母。
[ラスク]、という売れ残ったパンを再加工したようなものがありますよね。多分、乾燥させた食パンを片面だけカリッと油ですばやく揚げてからグラニュー糖の上に放り投げて作るのでしょうか?。
私の幼い頃は給食の時間にこのラスクを食べる友達が羨ましくて堪りませんでした。私はチャンとお袋の作ってくれた弁当を持って行くのですが、「おい、俺の弁当とお前のラスクを交換してくれ」、と頼み込んでは独りでポリポリと恍惚感に酔いしれていました。ホホ。
友達は、「折角の弁当を・・・何じゃタカッシャンは・馬鹿だな」、みたいな表情で私を見るのですが、食に関した価値観ってそれ程に違うんですね。
そのラスクですが、この処定着したレトロブームがあって沢山の種類が出回るようになっていますね。フランスパンを使ってラスクにしたもの。カステラをラスク状にしたもの・・。でも、私は食パンをラスクにしたものがオーソドックスで一番好きですね。
先日、長崎の姉が1泊2日の駆け足で熊本へ来た際、このラスクを持って来たんですが、姉が帰ってしまった居間のポータブルキーボードの上に私の食べ残しのラスクを見つけた母が、「こりゃ、何ネ」、と。
「ホラ、これはラスクさ。知っとるやろ?」、と言うと、「そうそう、ラスク。ラスクだったネ。どりゃ」、と手にとって食べようとしたんです。
「ちょっと待った。これは硬くて無理さ。歯茎に傷をつけるよ」、と言うと。
「お前には工夫というモノがあるのか?。これはこうやって食べるのさ」、と母は手でポキン、ポキンと割って口に入れました。
「こうして小さく割って口に入れ、柔らかくなってから噛めばいいとさ」、と・・・・。
♪:母のクーデター
我家の庭先を彩る花達

☆:食べるという行為はとても大切。・・介護食の研究
BS放送だったかな?、今朝のTV番組で介護食の話題がありました。魚も野菜も混ぜ合わせたスープ状のトロトロ食ではなく、食材の姿形を残していて柔らかく食べられる調理方法の事でした。
一つの試みは酵素に漬け込んだ食材を特殊なケース入れ、減圧する事で食材中の空気を抜き、食物中の繊維をズタズタにする事で、「見た目は硬そうな竹の子やレンコンでも箸で切れる程に柔らかくなる」、というもの。
もう一つの試みは、何とか粉砕法という奴で、医療分野で応用されているものでした。胆石などがある患者をプールに入れて特定の音波を外から発射して患者の体内の石だけを粉砕するというものです。この方法も硬い野菜を特殊ケースに入れておき、パコーンと音波を発射して柔らかくするというものです。素材の外観は変化せずに中の繊維だけが柔らかくなるのです。
見事にお皿に盛られた竹の子やレンコンの煮付け。それにタクアンなどを100歳、96歳のお年寄りが自分で箸と皿を持ち、立派に食べているではありませんか。特に、96歳のお婆ちゃんなどは昨年までは完全な寝たきり状態だったとか・・。それがこうした調理方法の食事に切り替えた現在、自分で箸やスプーンを持って介助なしでベッドに腰掛けて食べられるようにまでになっている様子が画面に映っていました。
「美味しいですか?」、という取材者の質問に、「美味しい」、と答えるシーンでした。見ていて胸が熱くなりましたね。
☆:母の場合、食事への関心が強い分だけ健康なんだと思う。
食が命を与え、その食が病を作るものでもありますが、老いてからは、「食べなきゃいかん」、という思いを持てる者と、「もう、何を食べても・・」、と思う者との差ははっきりと出るような気がします。
私の母の場合、認知が吐かせる言葉、認知がさせる行為であったとしても、「食事を作る時間だ」、「食事作りは私の仕事だ」、と思う事で命を持続できている気がしています。
母の育った過去を振り返れば、母が11歳当時、僅か48歳でこの世を去った母親の代わりに母とは7歳違いの長女のフサ姉さんが、フサさんが嫁いだ後は4歳違いのミツ姉さんが家族の食事を作ったのです。そして、今度は末娘だった私の母は博多に嫁いでいたフサ姉さんの元でその家族の食事作りから子育てまでを一手に引き受けた時期があったのです。
多分、母の育った環境が現在の母の意識の中にあって、母が食への拘りを持つことができている気がするのです。
☆:オムスビに感動する私
実は、私はオムスビが大の好物なんです。あの米粒がびっしりと詰まって、その周囲を海苔で巻いて・・。さてさて、今日のオムスビの中には何が入っているのかな、と・・。
高菜の油炒めかしら、醤油をまぶした鰹節、明太子かしら・・、それとも、昆布の佃煮かも・と。ホホ、ホホ。あのオムスビを手にした瞬間に感じる日本人としての文化への誇り。それに日本人としての幸せを強く感じます。
☆:ラスクの事。「これはネ、こうやって食べるのさ」、と母。
[ラスク]、という売れ残ったパンを再加工したようなものがありますよね。多分、乾燥させた食パンを片面だけカリッと油ですばやく揚げてからグラニュー糖の上に放り投げて作るのでしょうか?。
私の幼い頃は給食の時間にこのラスクを食べる友達が羨ましくて堪りませんでした。私はチャンとお袋の作ってくれた弁当を持って行くのですが、「おい、俺の弁当とお前のラスクを交換してくれ」、と頼み込んでは独りでポリポリと恍惚感に酔いしれていました。ホホ。
友達は、「折角の弁当を・・・何じゃタカッシャンは・馬鹿だな」、みたいな表情で私を見るのですが、食に関した価値観ってそれ程に違うんですね。
そのラスクですが、この処定着したレトロブームがあって沢山の種類が出回るようになっていますね。フランスパンを使ってラスクにしたもの。カステラをラスク状にしたもの・・。でも、私は食パンをラスクにしたものがオーソドックスで一番好きですね。
先日、長崎の姉が1泊2日の駆け足で熊本へ来た際、このラスクを持って来たんですが、姉が帰ってしまった居間のポータブルキーボードの上に私の食べ残しのラスクを見つけた母が、「こりゃ、何ネ」、と。
「ホラ、これはラスクさ。知っとるやろ?」、と言うと、「そうそう、ラスク。ラスクだったネ。どりゃ」、と手にとって食べようとしたんです。
「ちょっと待った。これは硬くて無理さ。歯茎に傷をつけるよ」、と言うと。
「お前には工夫というモノがあるのか?。これはこうやって食べるのさ」、と母は手でポキン、ポキンと割って口に入れました。
「こうして小さく割って口に入れ、柔らかくなってから噛めばいいとさ」、と・・・・。
♪:母のクーデター
我家の庭先を彩る花達


Posted by takassan(yu-sei) at 15:45│Comments(0)
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