2009年01月15日
♪:同居記録:115
☆2009.1.14。まるでピエロのように・・。英知を隠すお年寄りに出番はないのか。
昨日の続きになりますが、ある意味での現代のピエロ達がいます。これこそ真実のピエロ像かもしれないと思います。戦争という悲劇に巻き込まれ、世間の波に揉まれ叩かれ疲れ果てながら現在の日本という国を作り上げてくれたピエロ達。そう、我がニッポンのお年寄りのことです。
在宅で介護施設のベッドの上で口をアングリと開け、或いは迎えに来るはずもない家族の姿を探してエレベーターのドアの一点を見つめたまま一日中・・。この悲しいピエロ達。笑う事を忘れたピエロ達・・。私はこの方々のこうした姿をみるのがとても苦手です。世間が憎くなる。人生が憎くなるのです。
明治、大正、昭和と続いた厳しい世を生きてきた人達は大切な知識、技術を伝え残すことなく、世間から隔離されるかのように横たわっています。働くだけ、与えるだけの人生を過ごしてきたこの老いたピエロ達に対して、私達は一体何を以って応えようとしているのでしょう。安らぎってどこにあるんだ、と・・。
「貴方の人生ってどんなモノでした?。せめて、これだけは伝えたいというモノを教えてくれませんか?」、と全てのお年寄りに言いたいです。それは私自身の中に潜む、[もう一人の私]を探す事になるからです。
★山篭りで見た鬼、それは心病んだ私の姿だった。
若い頃、幼い頃の手術で小腸の半分を切除し、その後遺症に悩む私は、「こんなに苦しい人生ならやり直したい。今のままなら先も知れている」、「いっそ、鳥の餌にでもなってやれ」、という思いで山篭りを繰返していました。私が今でも真夏にハイネックで長袖のシャツを着る理由・・。既にバレているからこそ書きますが、それはその頃に作った、「タメライ傷」、を隠す為でした。
山では私はよく直径30cmほどの木の幹にナイフで目的もなく2つの顔を彫っていました。一つは鬼の顔を彫っていました。何故、鬼を彫るのかが分かりません。もう一つは母の顔でした。
母親の顔を彫るのは分かりますが、何故、知りもしない実在さえしない鬼の顔を彫るんだろうと自問自答していました。別なものを彫ろうと思っても最後は鬼の顔になっているんです。何故だか分かりませんでした。
ある日、飲み水を沸かそうと山の中の池の水を汲もうとした時、私は鬼に出会ったのです。池の水面には物凄い形相をした私の顔が映っていたんです。
「あア、鬼は俺の中に住んでいたんだ」、と思いました。もの凄い顔つきでした。これ以上の醜さはないという程に悩み、恨みを抱え込んだ醜い男がそこにいたんです。
「こんな俺だから、俺の周りには鬼しか集まってこないんだ」、と思いました。つまり、自分自身が手術の後遺症を引きずる事が新たな悩みを作り出す事に気づいたんです。私の中に鬼がいたんです。
★私の中に住む鬼を追い出し、二人目の自分を探そうと思った。それが、私の中のピエロ。
でも、人間ってそう簡単には成長なんてしません。鬼は居座り続け、私の身体にはその後も何度もメスが入り、一部には今でも金のピンが溶け切らずに残っています。
ただ、私が努力した事は愚痴っぽく自分の悩みを周囲に告げる事をやめた事。それに詩を書き始めた事でした。決して言葉で語るのではなく、詩の中で自分の思いを表現しようとした事でした。
人間社会ではうかつに自分の過去を晒すと、「あア、そうだったのか。辛かったな。変な事を考えずに前向きに頑張れよ」、という言葉が戻ってきます。「あア、誰かに愚痴を聞いて貰って心のつかえがなくなった」、などと思ってはいけません。慰めと引換えに一生に渡るレッテルを貼られる事だってあります。
それ以降、山に登る際にも、「俺は鳥の餌なんかになるものか。俺は生まれ変わるんだ。強くなってみせる」、と自分を戒め続けましたよ。
人生って、その一瞬一瞬の時間がもう既に過去なんです。過去をひきずり、悔やんでばかりいても、それは次々に過去を作るだけであって、そこには明日が全くないんです。
やがて、私は草野球とは言え、社会人企業チームからの声がかかる程に活動的になっていくのです。私に潜むもう一人の私の姿でした。内緒で公式戦にも出て活躍させて頂くようになっていくのです。そして、独特の作風を持つ詩を書く奴、独特のギターを弾く奴・・、と中央からの声さえ掛かるようになるのでした。
多分、鬼は現在でも住んではいるのでしょうが、私の心には、「もう一人の私=ピエロ」、が確実に住んでくれているような気がしています。私の中のピエロ、それは私を戒める私自身。そう、思っています。
★でも・・、現実に目にするピエロはやはり悲しい。
そこに、車椅子に座ったままでエレベーターのドアを一日中見つめ続けるお年寄りがいます。昨日もそうでした。一昨日も・・。施設の自動ドアが開くたび、そのお年寄りはハッと目を見開き表情を変えて、車椅子から身を乗り出して中を見つめます。きっと心の中では、「今度こそ家族が迎えに来たんだ。娘だろうか、息子かも知れない・・」、と考えているはずです。
ドアの前で一日を過ごすお年寄りの場合、「きっと迎えに来るはずだ」、という期待感を強く持つ未来指向の方なんですね。きっと、自分の中のいろんな思いと闘っておられるんだと思うのです。こんなお年寄りの様子を、「現実を認識していないからだ」、と簡単に結論づけしてはいけません。
「どうせ家族なんて会いに来ないんだ」、と施設のベッドで寝たきり生活指向のご老人よりもマシだと思うのです。
こうしたご老人を見掛けたりすると、[ピエロ]、という言葉が私の脳裏をよぎるのです。「まだまだ、この方には私達に伝えきれていないモノがあるはず・・だ」、と。少なくとも私に対して沈黙の大切さ、人生の悲哀を教えてくれる人。私に涙を流させる力を持った人だからです。
日本の古典芸能に、「能」、というものがあります。踊り手は決して言葉を発しません。この能は、「死の世界から現世を見た筋書き」、になっているのが基本だそうで、私の詩は、この能世界の発想で書く事が非常に多いんです。自然の風景、陽の入り沈み・・、そして、お年寄りの日々の老い・・。何の前触れなんてなく、音も言葉も発する事無く、静かに静かに黙して移ろい、老いを深めるからです。
私の作品にはピエロという文字を使ったものは記憶しているだけで11曲くらいあったのではないかと思います。その殆どが高校から大学時代に作ったものです。勿論、忘れ去った作品の方が多いのですが、その中で詩の一部を作り変えて録音した、「♪:まるでピエロのように」、という作品を近日中にアップロードしてみようと思っています。
♪:花ミズキ
過ぎゆく季節の中で 母が老いを急ぐ 移ろう季節が・まるで・・私まで弄んでいる
二年前、母の為にと植えた花ミズキ 私の背丈と同じくらいネ・・って 母が言ってた
朝な夕なに水をやり 大事に育てたが ふと・気付けば・母の身体が 随分小さくなってる
花ミズキ・君の背丈が伸びたからだけじゃない 母の・・母の身体が少しずつ・・縮んでいる
教えてくれ花ミズキ・母の心が分からない 近頃・母はめっきり 言葉数が減ってきた
Uh Hoo Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo
寒さもどうやらやり過ごせたね ほら・見てごらん 施設の庭には赤い花ミズキ 夏はもうすぐ
「うちにもあるよね?花ミズキ」母は覚えてる 「もう、見る事もないだろうね」って・哀しい事を言う
「よせよ、そんな言い方は・・頑張るのはあんただろ!」 突然、母は黙り込む 時折、私をにらむ
花ミズキ・君と私は似たもの同士だね 香り持たない君も・・母の心に入れない
過ぎゆく季節の中で 母が老いを急ぐ 移ろう季節が・まるで・・私まで弄んでいる
Uh Hoo Uh Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo
花ミズキ、君の事を母が気にしてた 私はまだ家には帰れない「歩くのがちょっとネ」ってさ
花ミズキ、そしてこうも言ってたよ 随分、大きくなったろうネって「処で赤かい?白かい」ってさ少し寂しいね
だけどそれでいいと思うよ つかず離れずって言うのか 母が振向けば・君はいつも母の帰りを待ってる
花ミズキ、待ってろよ 必ず母を連れて帰るからさ 老いた母の為に君は・・背丈は余り伸ばすなよ
過ぎゆく季節の中で 母が年を重ねる 過ぎゆく季節の中で 母が老いを重ねる
過ぎゆく季節の中で・・・過ぎゆく季節の中で・・・
Uh Hoo Uh Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo・・・・・・
昨日の続きになりますが、ある意味での現代のピエロ達がいます。これこそ真実のピエロ像かもしれないと思います。戦争という悲劇に巻き込まれ、世間の波に揉まれ叩かれ疲れ果てながら現在の日本という国を作り上げてくれたピエロ達。そう、我がニッポンのお年寄りのことです。
在宅で介護施設のベッドの上で口をアングリと開け、或いは迎えに来るはずもない家族の姿を探してエレベーターのドアの一点を見つめたまま一日中・・。この悲しいピエロ達。笑う事を忘れたピエロ達・・。私はこの方々のこうした姿をみるのがとても苦手です。世間が憎くなる。人生が憎くなるのです。
明治、大正、昭和と続いた厳しい世を生きてきた人達は大切な知識、技術を伝え残すことなく、世間から隔離されるかのように横たわっています。働くだけ、与えるだけの人生を過ごしてきたこの老いたピエロ達に対して、私達は一体何を以って応えようとしているのでしょう。安らぎってどこにあるんだ、と・・。
「貴方の人生ってどんなモノでした?。せめて、これだけは伝えたいというモノを教えてくれませんか?」、と全てのお年寄りに言いたいです。それは私自身の中に潜む、[もう一人の私]を探す事になるからです。
★山篭りで見た鬼、それは心病んだ私の姿だった。
若い頃、幼い頃の手術で小腸の半分を切除し、その後遺症に悩む私は、「こんなに苦しい人生ならやり直したい。今のままなら先も知れている」、「いっそ、鳥の餌にでもなってやれ」、という思いで山篭りを繰返していました。私が今でも真夏にハイネックで長袖のシャツを着る理由・・。既にバレているからこそ書きますが、それはその頃に作った、「タメライ傷」、を隠す為でした。
山では私はよく直径30cmほどの木の幹にナイフで目的もなく2つの顔を彫っていました。一つは鬼の顔を彫っていました。何故、鬼を彫るのかが分かりません。もう一つは母の顔でした。
母親の顔を彫るのは分かりますが、何故、知りもしない実在さえしない鬼の顔を彫るんだろうと自問自答していました。別なものを彫ろうと思っても最後は鬼の顔になっているんです。何故だか分かりませんでした。
ある日、飲み水を沸かそうと山の中の池の水を汲もうとした時、私は鬼に出会ったのです。池の水面には物凄い形相をした私の顔が映っていたんです。
「あア、鬼は俺の中に住んでいたんだ」、と思いました。もの凄い顔つきでした。これ以上の醜さはないという程に悩み、恨みを抱え込んだ醜い男がそこにいたんです。
「こんな俺だから、俺の周りには鬼しか集まってこないんだ」、と思いました。つまり、自分自身が手術の後遺症を引きずる事が新たな悩みを作り出す事に気づいたんです。私の中に鬼がいたんです。
★私の中に住む鬼を追い出し、二人目の自分を探そうと思った。それが、私の中のピエロ。
でも、人間ってそう簡単には成長なんてしません。鬼は居座り続け、私の身体にはその後も何度もメスが入り、一部には今でも金のピンが溶け切らずに残っています。
ただ、私が努力した事は愚痴っぽく自分の悩みを周囲に告げる事をやめた事。それに詩を書き始めた事でした。決して言葉で語るのではなく、詩の中で自分の思いを表現しようとした事でした。
人間社会ではうかつに自分の過去を晒すと、「あア、そうだったのか。辛かったな。変な事を考えずに前向きに頑張れよ」、という言葉が戻ってきます。「あア、誰かに愚痴を聞いて貰って心のつかえがなくなった」、などと思ってはいけません。慰めと引換えに一生に渡るレッテルを貼られる事だってあります。
それ以降、山に登る際にも、「俺は鳥の餌なんかになるものか。俺は生まれ変わるんだ。強くなってみせる」、と自分を戒め続けましたよ。
人生って、その一瞬一瞬の時間がもう既に過去なんです。過去をひきずり、悔やんでばかりいても、それは次々に過去を作るだけであって、そこには明日が全くないんです。
やがて、私は草野球とは言え、社会人企業チームからの声がかかる程に活動的になっていくのです。私に潜むもう一人の私の姿でした。内緒で公式戦にも出て活躍させて頂くようになっていくのです。そして、独特の作風を持つ詩を書く奴、独特のギターを弾く奴・・、と中央からの声さえ掛かるようになるのでした。
多分、鬼は現在でも住んではいるのでしょうが、私の心には、「もう一人の私=ピエロ」、が確実に住んでくれているような気がしています。私の中のピエロ、それは私を戒める私自身。そう、思っています。
★でも・・、現実に目にするピエロはやはり悲しい。
そこに、車椅子に座ったままでエレベーターのドアを一日中見つめ続けるお年寄りがいます。昨日もそうでした。一昨日も・・。施設の自動ドアが開くたび、そのお年寄りはハッと目を見開き表情を変えて、車椅子から身を乗り出して中を見つめます。きっと心の中では、「今度こそ家族が迎えに来たんだ。娘だろうか、息子かも知れない・・」、と考えているはずです。
ドアの前で一日を過ごすお年寄りの場合、「きっと迎えに来るはずだ」、という期待感を強く持つ未来指向の方なんですね。きっと、自分の中のいろんな思いと闘っておられるんだと思うのです。こんなお年寄りの様子を、「現実を認識していないからだ」、と簡単に結論づけしてはいけません。
「どうせ家族なんて会いに来ないんだ」、と施設のベッドで寝たきり生活指向のご老人よりもマシだと思うのです。
こうしたご老人を見掛けたりすると、[ピエロ]、という言葉が私の脳裏をよぎるのです。「まだまだ、この方には私達に伝えきれていないモノがあるはず・・だ」、と。少なくとも私に対して沈黙の大切さ、人生の悲哀を教えてくれる人。私に涙を流させる力を持った人だからです。
日本の古典芸能に、「能」、というものがあります。踊り手は決して言葉を発しません。この能は、「死の世界から現世を見た筋書き」、になっているのが基本だそうで、私の詩は、この能世界の発想で書く事が非常に多いんです。自然の風景、陽の入り沈み・・、そして、お年寄りの日々の老い・・。何の前触れなんてなく、音も言葉も発する事無く、静かに静かに黙して移ろい、老いを深めるからです。
私の作品にはピエロという文字を使ったものは記憶しているだけで11曲くらいあったのではないかと思います。その殆どが高校から大学時代に作ったものです。勿論、忘れ去った作品の方が多いのですが、その中で詩の一部を作り変えて録音した、「♪:まるでピエロのように」、という作品を近日中にアップロードしてみようと思っています。
♪:花ミズキ
過ぎゆく季節の中で 母が老いを急ぐ 移ろう季節が・まるで・・私まで弄んでいる
二年前、母の為にと植えた花ミズキ 私の背丈と同じくらいネ・・って 母が言ってた
朝な夕なに水をやり 大事に育てたが ふと・気付けば・母の身体が 随分小さくなってる
花ミズキ・君の背丈が伸びたからだけじゃない 母の・・母の身体が少しずつ・・縮んでいる
教えてくれ花ミズキ・母の心が分からない 近頃・母はめっきり 言葉数が減ってきた
Uh Hoo Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo
寒さもどうやらやり過ごせたね ほら・見てごらん 施設の庭には赤い花ミズキ 夏はもうすぐ
「うちにもあるよね?花ミズキ」母は覚えてる 「もう、見る事もないだろうね」って・哀しい事を言う
「よせよ、そんな言い方は・・頑張るのはあんただろ!」 突然、母は黙り込む 時折、私をにらむ
花ミズキ・君と私は似たもの同士だね 香り持たない君も・・母の心に入れない
過ぎゆく季節の中で 母が老いを急ぐ 移ろう季節が・まるで・・私まで弄んでいる
Uh Hoo Uh Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo
花ミズキ、君の事を母が気にしてた 私はまだ家には帰れない「歩くのがちょっとネ」ってさ
花ミズキ、そしてこうも言ってたよ 随分、大きくなったろうネって「処で赤かい?白かい」ってさ少し寂しいね
だけどそれでいいと思うよ つかず離れずって言うのか 母が振向けば・君はいつも母の帰りを待ってる
花ミズキ、待ってろよ 必ず母を連れて帰るからさ 老いた母の為に君は・・背丈は余り伸ばすなよ
過ぎゆく季節の中で 母が年を重ねる 過ぎゆく季節の中で 母が老いを重ねる
過ぎゆく季節の中で・・・過ぎゆく季節の中で・・・
Uh Hoo Uh Hoo Hoo Uh Hoo Uh Hoo Hoo・・・・・・
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